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レジスターから引き継がれる印刷技術カラープリンタ編

発端はキャッシュレジスターの印刷技術

当社はプリントシール機や証明写真BOXで使われる昇華型カラープリンタでは国内随一の実績を誇っている。こうなるに至るまでには長い歴史の経緯があった。

当社は戦前、キャッシュレジスター(金銭登録機)の生産を手掛け、好評を博していた。1939(昭和14)年には中米諸国、オーストラリア、フィリピンに400台以上を輸出するまでになっていた。当時、わが社は陸海軍の管理工場に指定されて軍需品の生産優先だったが、輸出競争力があり外貨を稼いでいたレジスターだけは例外扱いになるほど。

当時のレジスターはインクリボンに回転する活字輪の活字を打ち付けて印字する形式。これが当社とプリント技術の出会いだった。

切符の自動発券機に進出

さらに、戦後になって当社はこうしたプリント技術を要することから自動券売機に進出する。1951(昭和26)年、不足運賃精算機を開発、多数納入されたことをきっかけに、この分野の足掛かりを得る。次に、切符を売る単能式券売機を開発。さらに多種類の硬貨とおつりが出る機種なども開発された。これらの自販機には予め印刷された硬券(分厚く硬い紙に印刷された乗車券)がストックされていた。

1960(昭和35)年になるとロール紙に印刷して切り離す軟券(薄く柔らかい紙に印刷された乗車券)が出てきた。この自動券売機は普通の練ったインクできっぷを印刷していた。

1967(昭和42)年にはさまざまな行先の乗車券を同じ紙でまかなえる軟券の多機能式券売機を開発。それまでのリレー式回路をトランジスタやサイリスタによる電子制御に切り替えて無接点化し、メンテナンスフリーを実現。翌1968(昭和43)年には国鉄山手線全駅に納入している。

このころ、国鉄から乗車券の印字にキレート印刷を使うように要望があった。従来の練りインクを使った凸版印刷では、切符を持つ手が汚れるというクレームが後を絶たない。速乾性のキレート印刷を使った凸版印刷に切り替えてほしいということであった。

キレート印刷とは顕色剤を塗布した印刷面に発色剤を含んだ水性インクで印刷することにより、印刷面でキレート発色という化学変化が瞬時に生じて黒く印刷できる方式だ。

早速開発に着手してみると、インクの消費量と供給量のバランスがとれないという問題に突き当たった。どうしてもインクが供給過剰気味になり、鮮明な印刷にならないのだ。キレート液の供給元に話をきいたところ、キレートポンプ式にしたほうがいいとアドバイスをもらった。この方式に切り替えると鮮明な印刷面を得られるようになったので、実用に供せられた。

当時国鉄から、窓口で係員が操作して、遠距離を含めて多数の行先の乗車券や特急券、割引券などの切符を発売する券売機の共同開発の話があり、当社ともう一社が試作機を作った。

競争相手は当時の最新技術であった静電印刷方式を使っていたのに比べて、当社の印刷方式は多数の駅名の印刷版をドラムに貼り付けて回転させる方式。これでは勝ち目がないと担当者は諦めてしまったが、静電印刷の切符は文字の定着がうまくいっておらず目的の駅に着くころには読めなくなっており、当社の方式が採用されるという一幕もあった。

1977(昭和52)年にはマイコン搭載でサーマル印刷のコンパクトで多機能な券売機を開発している。

高品質カラーハードコピーに挑戦

さらに、サーマル印刷技術を使ってプリンタ事業に打って出ようとした。このころサーマルラインヘッドを作ろうとしているメーカーがあり、その会社と組んで、原理が単純で印刷の品質がよいサーマル印刷技術を使ってモノクロA4のプリンタを試作した。

しかし当時はインパクト方式のドットプリンタが全盛で、試作品をもってユーザーに使ってもらおうとしても見向きもされない。結局量産されることはなく、サーマルプリンタはお蔵入りとなった。担当者は失意の底に沈み、プリンタ事業はムリなのかという思いが心をよぎった。

ところが会議の席で、プリンタはこれから勃興するという時代。この時期を逃すと二度とプリンタ事業には進出できないだろうという意見が出て、再挑戦の機会が与えられた。パソコン第一世代の時代だったのだ。

当時のパソコンの画面は文字表示が主で、一部の機種が直線や円などの図形を描けるという程度だった。しかし、第二世代以降の画面表示は急速に発達して複雑になり、画面のハードコピーがあたりまえの時代になる。当社のサーマルライン方式の印刷速度であればハードコピーは可能だ。

ハードコピーをコンセプトに開発を進め、パソコンメーカーともコミュニケーションをとりながらこれなら商品化できるというところまできた。しかし1980年代に入ってパソコン画面のカラー化が進んできた。

当社はハードコピーのカラー化を進め、1980(昭和55)年に初のカラープリンタ「CHC-30」を開発・発売、販売攻勢をかけるために情報機器本部を設置した。さらに1984(昭和59)年、世界に先駆けてA3判のカラーハードコピーを開発している。

1990年代になるとインクジェット式プリンタが低価格分野で急速に浸透してきた。画面品質にそこまでこだわらないユーザーはカラーインクジェットプリンタに流れた。当社はサーマル方式の技術を培ってきたので、サーマルの中でも特に高画質が得られる昇華型プリンタに的を絞り、インクジェットプリンタとの差を明確に打ち出す方向をとった。

高画質分野は業務用が中心となり顧客の要求も厳しい。当社は営業担当が直接顧客の声をきいては製品に生かしていく地道な努力を続けている。その結果、ほとんどのプリクラ業界にカラープリンタを納入し、大手写真館、DPEショップ、デザイン事務所、駅の証明写真BOXなどにも納入されて、業務用昇華型プリンタでは圧倒的強みを発揮している。